義経記

 源氏系図など

 巻第一
 義朝、常磐の都落ちから牛若の鞍馬入り、吉次と鞍馬を出て平泉へ向かうまで。

 巻第二
 鏡の宿で強盗に襲われ、遮那王(牛若丸)が活躍。伊勢三郎を従え、秀衡に対面する。
 
 巻第三
 弁慶が誕生。暴れ坊主となり、連夜他人の太刀を奪い取る。義経に懲らしめられ臣下となる。頼朝の謀反で義経奥州を出る。

 巻第四
 頼朝と対面。平家討伐。梶原の讒言で頼朝は義経に会わず、義経は都落ち。

 巻第五
 判官吉野山入り。靜御前を捨て、吉野を落ちる。忠信吉野に留まり合戦。

 巻第六
 忠信都へ忍び、討たれる。判官南都へ忍ぶ。静鎌倉へ下り若宮八幡宮へ参詣。

 巻第七
 判官北国落ち、如意の渡しで弁慶、義経を打つ。判官平泉へ着く。

 巻第八
 秀衡死去。子供が判官に謀反。衣川合戦で判官自害。兼房の最期。秀衡の子、追討される。

 平家物語で際立った存在感を見せる源義経が牛若丸の時代から平泉・衣川の戦いで自刃するまでを描いている。平家物語、保元、平治物語でも、当然、義経は登場するが、子供時代、奥州藤原氏を訪ねる辺りは、義経記に詳しく、頼朝の命を受けて木曽義仲を都から追い出し、平家を一の谷、鵯越、さらに壇ノ浦まで追い詰めて壊滅させる辺りは、平家物語に詳しい。平家を滅ぼしはしたが、梶原の讒言によって、頼朝は義経に“謀反心がある”と誤解。腰越でとどめ、鎌倉へは入れなかった。義経は弁慶とともに秀衡を頼って平泉へと逃れた。
しかし、秀衡の子、泰衡に裏切られ、衣川の戦いで敗れ、館に火を放って自刃する。弁慶の立ち往生、老武士・兼房の最期などの名場面は、五条の橋での弁慶との出会い、如意の渡しで疑われ、弁慶が義経を打擲する場面とともに、数々の芝居などで知られる。ただし、平家物語によると、弁慶と牛若丸の出会いは、五条の橋では無く、清水寺ということになっている。

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